聖書 マタイによる福音書 5章 22節
「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

 

お話

5月22日・金曜日、映像礼拝29回目の朝です。今日も曇り空です。しかし、昨日よりは、ちょっと寒さも和らいだような気がします。

さて、今日は、聖句をもう1回、読もうと思います。

マタイによる福音書 5章 22節
「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

ここで言う兄弟とは、家族としての兄弟や姉妹というだけでなく、近しい人たち、というように考えてほしいと思います。

すると、誰かに腹を立てる人は、誰でも仲間から区別されてしまいます。そして、誰かに「ばか」と言う人は、さらに広い世界から区別されてしまい、「愚か者」と言うような人は、地獄に落とされます、ということになります。

私たちにとって、「ばか」という言葉は、馴染みがありますが、「愚か者」とは、もう、ほとんど使わないのかな、と思います。ただ、聖書の世界では、「愚か者」という言葉は、「ばか」よりも、はるかに重い意味を持っていたようです。

それにしても、誰かに腹を立てただけで、仲間から区別されてしまうなんて、そうだったら、私たちの毎日は、区別されてしまうことの連続だな、と感じます。

しかし、よく考えれば、その通りなのです。私自身が、誰かに対して怒りを感じた時、その時点で、私は、その人を、もう自分の心の中で、区別した、ということです。なるほど、自分のしたこと、言ったことは、鏡にはねかえってくる、と考えると、確かに、自分も区別されてしまうんだな、と納得ができました。

自分の心の中で、腹を立てる気持ちが激しい時は、カッカッとしていますが、少し落ち着いてみると、妙に寂しい、むなしい気持ちになるように思います。ふと、落ち着いた時、実は、人に腹を立てて、自分自身をみんなから区別してしまっているんだ、と思い返したいな、と思いました。

では、ラジオ体操の動画を流します。今、皆さんのできる範囲で、一緒にやりましょう。

ではお互い、今日もそれぞれの与えられた持ち場で、希望を持って、一緒に頑張りましょう。次は来週の月曜日・5月25日の朝、会いましょう。

第29回 映像朝礼の話