聖書 フィリピの信徒への手紙 4章 4節から7節
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

 

礼拝の話
長かった1学期も、今日で終わります。本当によく頑張ったと思います。

でも、皆さんの中には、

「いや、あれがダメだった、これはできなかった…」

と、頑張らなかったこと、頑張れなかった自分を思い浮かべた人もいるかもしれません。

 

自分でそう思うのなら、そうなのかもしれません。

それでも、十分、頑張ったのではないかと私は思います。

納得のできる成果、点数でなかったとしても、やってみたこと、少なくともやろうとしたことは、素晴らしいと思うからです。

 

さっき読んだ聖句では、「喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と、くどいほど、喜ぶことが書かれています。

この手紙を書いたパウロは、牢屋の中に入れられ、生命の危機にさらされていたのだそうです。

そして、手紙を送られたフィリピの信徒たちも、とても「喜び」とは程遠い状況であったのだそうです。

それにも関わらず、パウロは重ねて、「喜びなさい」と語っています。

 

いつも喜んでいられたらいいと思います。

しかし、私たちの日常は、不安なこと、心配なこと、嫌なこと、腹の立つことがたくさんあるでしょう。

喜ぶことを探そうとすればするほど、逆に嫌なことが思い浮かんでしまうことさえあるのではないかと思います。

 

それが私たちの当たり前のことだとするなら、喜んでいるということも、日々の練習なのかもしれません。

10個の思いついたことのうち、1つでも喜ぶことがあったなら、それを2つ、3つとしていくことはできます。

0を1にすることが、一番、難しいのです。

明日からの長い夏休みでは、いつもより、少しでもいいので、喜ぶことを意識して過ごしてもらいたいと思っています。

そして、9月になったら、こうしてまた、皆で集まり、顔を合わせたいと思います。

 

終業のお祈り
天の父なる神様、今日、こうして、1学期を無事に終えることができることに心から感謝します。
これから始まる夏休みでは、それぞれが、それぞれの家庭で、いろいろな経験をします。

そのすべてに喜びの種を見つけ、充実感を持って過ごせるよう、お守りください。

また、大きな事故なく、病気や怪我もなく、2学期の始業を迎えられるよう、お守りください。

このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げします。アーメン。

終業礼拝の話